筑豊のお菓子は何故全国区になったか?

筑豊のお菓子は全国的に知られている。
筑豊のお菓子が美味しいわけは、筑豊が盆地であること、いい粉がとれることの他に、
全国から大勢の人が集まって来たところであるということが考えられる。
また、苛酷な労働に従事した炭鉱の人たちによって、味が鍛えられ、
全国に広がっていったのではないかとの考えを、筑豊を代表するお菓子を取り上げて特集してみた。
そして何よりも、東京名物や九州の銘菓になったお菓子が筑豊のお菓子であることを知ってもらいたかった。
この特集は、『筑豊原色図鑑』という本の臍にあたる。



飯塚名物から東京名物になったひよ子饅頭
お菓子の故郷


千鳥屋

千鳥屋のお菓子を創業者の進取の気性が生み出した銘菓だと位置付け、石炭景気に沸いていた筑豊のもっとも活気のある時期を表現しようと試みた。
佐賀県の田舎町から飯塚に進出してきた千鳥屋の発展を見ていると、新しいものが好きで、明るく、気前のいい飯塚の人々の姿が見えてくる。


ひよ子

ひよ子のお菓子を創業者の強烈なイマジネーションが生み出したお菓子と位置付け、明るく最も活気のある時期のもう一歩の側面を表現しようと試みた。
飯塚の秘境といわれた八木山出のひよ子が、紆余曲折の発展をして東京名物になるのを見ていると、確かに筑豊の持っている厭な反面が見えてくる


さかえ屋
さかえ屋のお菓子のあゆみを炭鉱閉山後の筑豊の姿と重ねてみようと試みた。
高校の郷土資料室から発想を得たというように、千鳥屋やひよ子に遅れて戦後しばらくして出発した。それも炭鉱が閉山して筑豊全体が斜陽化し始めてからだ。小さな商店が生き残りをかけて創意工夫したさかえ屋のお菓子は、炭鉱閉山後の筑豊の姿そのものだと思えたからだ。

もち吉
石炭産業の崩壊も忘れられた頃、もち吉は通信販売でその名を全国に広めていった。もち吉には直方(=筑豊)へのこだわりが強い。それは、地方の菓子メーカーが常に忘れてはならないことかもしれない。
通販という販売ツールを取り入れているからこそ、もち吉は遠賀川流域の水や、空気や、豊かな土地にこだわる。そして、自社内に餅の神社まで作った。


味覚の原点
日本のスープ産業のパイオニア「一番食品」を取り上げた。
未利用資源の活用を社訓とするメーカーはいかにも筑豊らしく思え、
文化と伝統からの視点で考察してみた。



酒・大人の味
酒は文化であるという考えから、筑豊の造り酒屋を取り上げた。
それぞれの酒作りのドラマを書こうとしたが、そこに息づく人間の姿をとらえきれず、
古い由緒ある建物や酒などを紹介。