筑豊のなりたち

『筑豊原色図鑑』では,筑豊の歴史を人類誕生以前にまでさかのぼり、
弥生文化の先進地がさまざまな時代を経て近代にいたるまでを、
ふんだんに写真を使ってダイナミックに描いています。



炭坑全盛期の筑豊 忠隈のボタ山

歴史


筑豊誕生

珊瑚礁の海が広がり、メタセコイアの木が林立し、火山が爆発し、巨大肉食恐竜が咆哮していた太古の筑豊。石炭をキーワードとする筑豊では、遥か人類誕生以前に石炭のもととなったメタセコイアの時代から、なりたちともいうべき必然の歴史が始まっていた。


文化のめばえ


縄文時代から人々が生活を営んでいた筑豊。稲作文化の先進地であった遠賀川流域の豊富な弥生遺跡。吉野ヶ里遺跡をはじめ西日本一帯で発見された立岩遺跡の「穂摘み石包丁」は、わが国の商売の始まりではないかと見られるように、貴重な遺物は遠賀川流域全体に広がっている。


絢爛たる装飾古墳


筑豊の装飾古墳は、高松塚古墳とともに国の特別史跡に指定されている王塚古墳をはじめ、国の史跡竹原古墳・古月横穴・小正古墳など見事な装飾古墳が多い。く、いつでも見学できるように整備されている。本書ではこれらの装飾古墳を紹介しながら、大和朝廷との関係にも触れている。


万葉の時代


大陸と都を結ぶ大宰府官道が通り、いつも新しい文物が往来していた筑豊。『万葉集』の中でひときわ輝く山上憶良が、有名な「子らを思う歌」を含む『嘉麻三部作』を筑豊の稲築で選定したことなど、知られざる筑豊を紹介。


時代が移る

日本三大修験道場の一つであるといわれる英彦山にまつわる歴史。蒙古襲来があり、日本独自の文化を生み出していった時代背景。筑豊にも雪舟などによって東山文化が持ちこまれ、やがて秀吉の朝鮮進出が筑豊に新しい焼物の歴史をもたらしたことなどを紹介。



文化の道・物資の道


長崎街道を文化の道、遠賀川を物資の道としてとらえ、江戸時代の筑豊を紹介。鎖国時代に外国と唯一開かれていた長崎・出島と江戸との間を結んで文物が往来した筑豊。また、その頃すでに筑豊では石炭が掘られていた事なども紹介している。


筑豊炭田

数点のボタ山の写真、山本作兵衛の炭鉱絵などを配し、日本の近代化を支えてきたわが国最大の筑豊炭田の歴史を貴重な歴史体験と位置付け、石炭産業が生んだ筑豊の有形無形の文化遺産が今もさまざまな形で継承されていることを紹介。